世界文化遺産、水原華城
水原華城  「華城(史蹟3号)」は単なる一つの城壁ではない。歴史的な意味と共に、東洋の城郭として建築学的にも貴重な世界文化遺産である。

 華城の築城は、李朝22代「正祖」の恨みと孝心で建築されたものである。1762年(英祖38年)、閏5月21日思悼(サド)世子は、党争の犠牲者で真夏米びつに閉じ込められ、8日目に亡くなられた。思悼(サド)世子の息子の「正祖」は当時11歳だった。祖父である「英祖」の後をついで即位した「正祖」は即位13年ぶりに父親の孤魂を慰めるために、墓を今の隆陵(リュンヌン)に移した。そして、水原を自分の理想的な新都市を建設するために、1974年(正祖18年)正月から築造が開始され、3年近くの歳月を費やして、1796年9月に完成している。

 「華城」は朝鮮城郭制度の、最高完成形である。韓国城郭発達史においても、一番重要な比重を占めている。この城壁は、ヨーロッパの近代築城技術を取り入れ、石城と土城の長所だけを生かして築造された。
 記録によると、この城には城門をはじめ48の施設物があったが、現在復元されたものを含んで41の施設物が残っている。宝物第402号の、「八達門(パルダルムン)」をはじめ、八達山を取り囲んでいる施設の中で、一番高い「西將臺(ソジャンデ)」(西將臺東側尾根の下に、今盛んに復元工事中の華城行宮が少しずつ当時の堂々とした面影を見せる)、火砲を隠しておいて敵軍に銃を撃つように築造された「南砲楼(ナムポル)」や、「訪花隨柳亭(バンファスリュジョン)」など、200年前の建物には朝鮮の文化の香りでいっぱいだ。

 華城は、1997年12月4日イタリアのナポリで開かれたユネスコ(UNESCO)の世界文化遺産に指定された。

◆交通機関
 水原市外バスターミナルや国鉄水原駅前のバスを利用、西將臺がある八達公園 あるいは、長安門、華虹門がある長安公園に移動し始めた方がいい。  
訪花隨柳亭
 
八達門